活動報告

「マラッカ海峡3泊5日~シンガポール、マレーシア、インドネシアの国境ツアー~」に参加して

お知らせ2019/01/30

「マラッカ海峡3泊5日~シンガポール、マレーシア、インドネシアの国境ツアー~」に参加して

北海道国際交流・協力総合センター客員研究員 高田 喜博

専門家と行くマラッカ海峡
 「マラッカ海峡3泊5日」に旅立つ前に、その起点となるシンガポールの1人当たりGDPを確認した。2017年の数字で、約5万8千米ドルは世界第9位である(因みに日本は3万8千米ドルで第25位)。シンガポールは、都市国家ともいうべき小さな国で、土地も人も少なく、資源どころか飲み水すら不足しているのに、どうして豊かなのか。かつて、それを勉強するために読んだのが、田村慶子『頭脳国家シンガポール―超管理の彼方に』 (講談社現代新書)であり、田村慶子(編著)『シンガポールを知るための65章』などであった。今回は、その田村慶子先生の案内で、しかも先生の最新刊『マラッカ海峡~シンガポール、マレーシア、インドネシアの国境を行く』 (ブックレット・ボーダーズ5)を手に、3カ国のボーダーを旅するという、かなり贅沢なツアーに参加した。

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国境を越える苦労と楽しみ
 シンガポールに到着した翌朝、専用バスでシンガポールとマレーシアのジョホールバルを結ぶ橋の一つで、英国が1923年に築いたLINE1を目指した(帰りはLINE2を利用)。クリスマス前の金曜でもあり、橋に近づくにつれ道路は大渋滞となった。やっとイミグレーションのターミナルに着いたら、今度は出国審査の長い列に並ばなければならない。これを通過して橋を渡ると、次はマレーシアの入国審査があり、やはり長い列に並ぶことになる。両国とも、出入国審査は機械化されて指紋とカメラで済むのだが、それでもどの列に並ぶのかによって通過時間が大きく異なる。まるでゲームをしているようだった。
翌日は、船(高速艇)で、シンガポールの南に位置するインドネシアのバタム島に渡った。海の国境線ということで、いつ国境を越えたのかは分からない。しかし、往復のそれぞれで出国と入国の審査があり、そこで国境を越えたことを実感することができた。
ボーダーツーリズムの醍醐味の一つは、こうして国境を越えることなので、多少の苦労はかえって楽しみとなり、皆とワイワイと並んだことが思い出となる。また、最近の出入国管理は簡略化され、スタンプが省略されることが多い。しかし、今回は2日だけで8個のスタンプを得ることができ、とても良いお土産になった。

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驚きの食事の連続
 多民族が暮らすこの地域では、マレー料理、中華料理、プラナカン料理、インド料理など、特色ある料理を楽しむことができる。ただ、ツアーの食事といえばツーリストメニューで、失礼ながら、安くて早いが美味しくないという場合もある。しかし、今回は、田村先生の監修とツアー会社の努力で、想定をはるかに越える美味しい食事が続いた。
具体的には、どれも現地の人気店で、チキンライス、バクテー(肉骨茶)、フィッシュヘッドカレーなどの美味しいローカルフードを堪能することができた。

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ダークツーリズム~歴史の現実を見つめて
 ジョホールバルとシンガポールで、現地の方々の苦労と努力によって維持されている日本人墓地を訪ねた。そこには、現地で活躍した日本人だけでなく、日本の貧しい地域からやってきて苦労し、ついに帰ることができなかった「からゆき」さんたちの小さな墓をたくさん見ることができた。
1942年2月にシンガポールを占領した日本軍は、「粛正」と称して中国系住民の大規模な虐殺を行った(犠牲者は数千とも数万ともいわれている)。その慰霊碑「日本占領時期死難人民祈念碑」を、中心部にある戦争記念公園に訪ねた。
 バタム島に連なるレンパン島とガラン島には、太平洋戦争直後の約1年間、日本軍の捕虜11万2836人が送り込まれた。最初の何ヶ月間は絶対的な食料不足で、彼らはジャングルを切り開いて自給自足を開始したが、痩せた土地、害虫、野ブタに苦しめられ、128人が亡くなった。食料に苦しんだ彼らは、島を「恋飯島」「餓乱島」と呼んだ。われわれは「レンパン島友の会」が建立した記念碑を訪ねて献花することができた。
 1975年4月30日にサイゴンが陥落すると多くの南ベトナム難民が船で逃れ、東南アジア各地に流れ着いた。その後、96年まで、ガラン島には約25万人の難民が収容された。彼らが苦しく不安な生活を強いられた広大な施設の跡が今も残っており、島の数少ない観光スポットの一つとなっていた。
このように、ボーダーツーリズムは歴史の旅でもあり、それは往々にしてダークツーリズムとなる。これからもボーダーツーリズムに参加して、しっかりと歴史を見つめていきたいと思う。

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