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お知らせ2019/07/26

コラム「国境を越えないボーダーツーリズム~国後島の旅~」

国境を越えないボーダーツーリズム~国後島の旅~
北海道国際交流・協力総合センター客員研究員・JBTA会員 高田喜博

【国後島へ行くということ】
 2019年5月10日から13日まで、いわゆる「ビザなし交流」(正式には「北方四島交流事業」という)に参加して国後島を訪問した。国後島は、いうまでもなく、日本が主権を主張し、ロシアが実効支配する北方領土に属する。日本の立場からすれば、自国の領土であるにもかかわらず、自由に行くことができない特別な場所である。
 すなわち、第二次世界大戦後に当時のソ連が北方領土を取得したとするロシアの立場に従うと、われわれは日本のパスポートにロシアのビザを取って渡航することになる。しかし、それは日本の主張と相容れない。そのため、日本政府は、閣議了解事項として、そのような渡航の自粛要請を出している。したがって、「ビザなし交流」以外では、北方領土へ渡航することができないのである。
 ところで、この「ビザなし交流」は、1991年に来日したソ連(当時)のゴルバチョフ大統領の提案を契機として成立した。現在、内閣府の北方対策本部の補助で、日本人が北方領土を訪ねる訪問事業と北方領土に居住するロシア人を日本に招く招聘事業が実施されている。その目的は、もちろん旅行の斡旋などではなく、交流を通じて「相互に理解を深め、四島返還による北方領土問題解決のための環境作りを行う」というものだ。

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【根室港で「えとぴりか」に乗船】
 10日の朝に根室港へ到着すると、「ビザなし交流」に使用されている交流船えとぴりか(1,124t)が停泊していた。令和元年の最初の渡航であることもあって、乗船口の周囲は報道を含む関係者で混雑していた。ちなみに、公募によって決定された『えとぴりか』という船名は、北太平洋沿岸に生息する海鳥「エトピリカ」に由来する。ふるさと(北方四島)と本土を自由に行き来する姿がイメージされているそうだ。
 出発式の後、名簿の団員番号順に65名が乗船した。ここから先、特に北方領土では団体行動となる。事前に自宅に送付された資料にも、前日に根室市内で行われた説明会でも、単独行動をしないよう注意されていた。「ビザなし交流」という特殊な枠組みで渡航するため、その目的外の行動が制限されるのである。単独行動をした場合には、ロシアの警察や国境警備隊に拘束されるおそれがある。しかし、これはロシアの主権、例えばロシアの法令や官憲の管轄権を認めない日本の立場と矛盾することであり、面倒な問題が生じるからである。
【国境を越えないボーダーツーリズム】
 根室港を出港したえとぴりかは、1時間ほどして「中間ライン」というボーダーを越えた。北方領土の主権を主張する日本の立場からは、これは「国境」ではない。われわれが主張する「国境」は、もっと東の択捉島とウルップ島の間にあるのだ。
しかし、ロシアが実効支配しているという厳しい現実がある。日本の船舶も航空機も、原則として、この中間ラインを越えることができない。ここまでエスコートしてくれた海上保安庁の巡視船も、ここから引き返していった。
【国後島の古釜布(ふるかまっぷ)に上陸】
 えとぴりかが進むにつれて、根室からも遠望できた国後島の姿が、だんだんと大きくなって、その大きさが実感できた。国後島の面積は、1,490㎢で沖縄本島より大きく、日本では2番目に大きな島である(1番目は択捉島)。終戦時(1945年8月15日)の人口は7,364人であったが、現在は7,800人ほどのロシア人が、古釜布(ふるかまっぷ)、ロシア名でユジノクリリスクを中心に居住している(4島全体の人口は約16,700人)。
 えとぴりかは、古釜布沖に停泊すると、ロシアの係官が乗船して「入域手続」が行われた。何度も述べているように、ここは日本であって外国ではない。だから、「入国・出国」ではなく、「入域・出域」というのである。
 古釜布の港には、えとぴりかが接岸できる埠頭がない。そのため、艀(はしけ)を使って上陸することになる。ここでも団員番号順に並んで艀に乗り移るのだが、ロシアの係官は日本側が提出した書類の写真を見ながら、一人一人の顔を確認していたようだ。

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【「友好の家」に到着】
 港には、地元のロシア人が運転する10台ほどの自家用車と2台の地元のバスが迎えにきていた。それらに分乗して、宿舎である友好の家(正式には「日本人とロシア人の友好の家」)に向かった。
 この友好の家は、その建設に鈴木宗男元衆議院議員の関与が疑われ(第一秘書が有罪)、当時は「ムネオハウス」と呼ばれたものである。プレハブ2階建ての比較的簡素な建物だが、2~8人部屋が12室に食堂やシャワー室があって快適だった。部材は全て北海道本土から持ち込まれ、根室の建設会社が建設した。そのため、コンセントなどは日本式であり、日本の電化製品をそのまま使用することができた。
【国後島内の視察】
 島内では団体行動でなければならない。団員番号順に点呼を受けてから、ロシア人が運転する6台の自家用車と2台のバスに分乗して市内視察に出発した。
 文化会館、図書館、郷土博物館、スポーツセンター、幼稚園、ロシア正教会などを視察した。どれも新しくて最新式の設備を有していた。その多くは2007年から始まった「クリル発展計画」(クリルとは千島のこと)など、政府やサハリン州の予算で建設された。
 日本の42倍の面積を有する広大なロシアの東の果てにある極東の、さらに東のボーダーに位置するのが北方四島である。そうした特別な予算や優遇措置がないと、インフラを整備し、地域経済を発展させ、人口を維持することは難しいのだ。
 その結果、北方領土の人口は3年連続で増加して昨年より2%増の18,302人となり、国後島の人口は昨年より1%増の8,619人となった。
【日本人墓地】
視察の合間に、われわれは「日本人墓地」に行った。町はずれの共同墓地の一角に柵で囲まれた日本人墓地がある。日本人墓地は、ロシア側の友好協会の人たちによって掃除されていた。ここで、献花して皆で線香をあげた。
 ただ、墓地が整地されておらず、かなりデコボコしていて違和感を持ったので、国後出身で、語部(かたりべ)として参加した清水征支郎さんに尋ねた。清水さんによれば、当時の国後島では土葬が行われており、大きな坐り棺に入れて埋葬した。時間がたって棺桶が朽ちると、その部分が陥没する。そのため、墓地はデコボコになるのだそうだ。
 ところで、元島民にとって、何より大切な先祖の墓であるが、ソ連時代に日本の痕跡が破壊され日本人墓地も荒廃した。ビザなし交流が始まってから、日本人墓地が再整備されてきたが、今も位置すら分からないもの、軍事施設があって近づくことができないものなど、墓参には多くの問題が残されている。

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【日ロの市民による意見交換会】
 文化会館で、6つのグループに分かれて、「観光」をテーマに日ロの意見交換会が行われた。かつては、領土問題を巡って厳しい議論がなされた時期もあったが、現在は、お互いの理解を深めるためのイベントだ。
われわれ8名のテーブルには数名のロシア人がやってきた。彼らからは、国後では豊かな自然と温泉があり観光に期待しているが、軍の施設などがあってインフラ開発が遅れている。日本の観光地はどこも素晴らしいので、日本と共同で観光開発ができれば国後にとっても良いだろうなどの発言があった。その後は、さまざまな話題に発展して、羅臼からきた元島民2世の団員とロシア人が、人里近くにやってきたヒグマをどうやって山に返すのかなど、共通する話題で盛り上がっていた。
【ロシア人家庭のホームビジット(家庭訪問)】
数人のグループに分かれてロシア人の家庭を訪問するホームビジットも行われた。受け入れ側は、ビザなし交流などで日本を訪問したことがあるか、訪問を希望しているロシア人なので、親日家で日本に対する関心が高い。通訳が巡回して会話を助けてくれるのだが、ロシア語しか通じない家庭もあって意思疎通に苦労する。しかし、振る舞われた料理とお酒を楽しむ間に、だんだんと打ち解けて、楽しい時間を過ごすことができる。
われわれ5名のグループを受け入れてくれた家庭では、カフェを経営している奥様、流通業のご主人、そして息子のお嫁さんの3名が歓迎してくれた。島での生活や仕事など、いろいろ話を聞くことができ、楽しく有意義な時間であった。
【ビザなし交流の意義~ボーダーの向こうにある日本】
宿舎「友好の家」では、玄関を出たところに灰皿がある。そのため、タバコや外の空気を吸いたい時は、誰でも自由に玄関先まで出ることができる。しかし、ロシアが実行支配するこの島で、何かトラブルがあっては大変なので、島内では単独行動が制限されている。そのため、ここから先へは出ることができない。
また、北方四島では、ロシアの携帯電話会社の電波にアクセスして、通話やメールをすることが制限される。ここは日本なので、日本の法律に従っていないロシアの電波を利用すべきではないということなのであろう。
このように、ロシアが設定した中間ラインというボーダーを越えると、そこは日本であって日本ではない。そうした厳しい現実を直視するのもビザなし交流の重要な意義なのだ。
 他方、既に紹介したように、島に暮らすロシア人の多くが親日的だ。ビザなし交流事業によって、多くの日本人を受け入れたり日本各地を訪ねたりして、本当の日本の姿を見ているからだ。このように、島に住むロシア人に日本を知ってもらうこともビザなし交流の大切な目的なのだ。
 ビザなし交流事業は、多額の国費が投入されているにもかかわらず、ただの観光旅行になっており返還運動の役に立っていないなど、いろいろと批判もなされている。しかし、実際に参加して、その意義や目的の重要性と必要性を改めて確認することができた。
【追記:丸山穂高事件】
このビザなし交流に参加していた丸山穂高衆議院議員が、ホームビジット先で酒を飲み過ぎて、「北方領土は戦争で取り戻すしかない」などの暴言を吐き、禁止されている外出を試みて事務局に制止されるという問題を起こした。しかし、対応した大塚小彌太団長の毅然たる態度、制止した事務局の真摯な努力もあり、日ロの外交問題などには発展しなかった。
この事件は、テレビや新聞で大きく取り上げられ、期せずしてビザなし交流事業に対する世間の注目を集めた。これを単なる政治家のスキャンダルに終わらせることなく、これを機にビザなし交流事業(北方四島交流事業)の意義や目的を再確認してもらいたいと思う。

(当コラムの写真は高田喜博氏のインスタグラムより引用させて頂いております)

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