活動報告

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お知らせ2019/09/09

サハリン北緯50度を歩いて渡る~元国境の旅~(前編)

・ボーダーツーリズム推進協議会(JBTA)事務局長
[ビッグホリデー株式会社 仕入手配部 部長 根岸文男]
 ※青字をクリックで画像を閲覧できます。

日本が統治していた時代もあるサハリン(※旧 南樺太)。【※ 以降、( )カッコ内表記は日本の植民地、樺太庁時代の旧 日本名の地名です。現在、公的には使われておりません。】
2019年8月10日より14日までの5日間、稚内の北都観光株式会社様[所属される米田専務は、ボーダーツーリズム推進協議会(JBTA)の副会長]ご協力の元、サハリン(樺太)を訪ねてきました。その様子をレポートします。【ツアー概略】【日程表】

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※[No-04_オーロラ航空] / [No-05_ユジノサハリンスクの空港から街へ] 
※[No-06_ユジノサハリンスク市の町並み]  / [No-03_ポロナイスクの横綱大鵬像] 

まずは、サハリンの概要について。サハリンは宗谷海峡をはさみ、北海道の北に位置する南北約1、000kmの縦長の島。北海道とサハリンは陸地間の最短距離が約43km。面積は北海道に近い。その北の大地サハリンは戦前、日本の植民地「樺太(からふと)」と呼ばれていました。そこには、古き日本と新生ロシアが混在し、ヨーロッパの風景と日本の面影があり、素朴な雰囲気も感じられます。著名人としては、横綱 大鵬関の出身地としても有名で、ポロナイスク(敷香)には銅像も建立されています。アクセスとしては、昨年まで北海道稚内港とサハリン州コルサコフ港間まで4時間30分、フェリーの国際定期航路で結ばれていましたが、今年より運行休止中となり、現在日本からユジノサハリンスク(豊原)まで行くには航空路利用のみとなっています。
そのサハリン(ロシア)訪問に必須なのがビザ。その取得申請において首都圏の場合、在日ロシア大使館のWebサイトを通じての予約が必要となっています。事前予約がない場合は、ビザ申請の受付をしないとしているので注意が必要です。ただその大使館の予約が非常にとりにくい。大使館予約の割当ては時間枠1回につき、1件という受付人数制限がかかり、申請手続きが終わっても、受取りはかなり先の日程であったり、現地(ロシア)旅行社のバウチャーや招待状まで用意しなければならないので、一筋縄ではいかない部分もあります。その中、唯一の公認ビザ取得受付先が、赤坂にある「ロシアビザ申請センター」です。民間委託された有料ビザ受付センターの様なイメージで、サービス料(4,500円)を徴収されますが、ここを利用するのが便利です。
無事ビザも取得し、いよいよ出発。四方を海に囲まれた日本で、サハリンまでの移動は数少ない国境越え体験ですが、日本人にとって身近な海外の都市といえば、ソウルやプサン、台北を思い浮かべる人も少なくないでしょう。それでもサハリンがソウルや台湾に比べると遠く感じられてしまうのは、国際航空便の数や、情報量の少なさという心理的要素が原因となっているのではないでしょうか。
様々な思いを感じつつ、新千歳空港からサハリン(樺太)南部の都市、ユジノサハリンスク(豊原)までオーロラ航空の直行便でフライト(機内は日本語でのアナウンスもあり、ソフトドリンクサービスも有りました)。船便と違い短時間でのフライトの為、ボーダーをあまり感じることなくサハリンに到着。もともとサハリンは、距離的には大変日本から近い場所。実際に行ってみると、サハリンがどれほど近い場所なのか、体感することができます。
飛行機に乗って、あっという間に北海道を抜け……そして見えてくるサハリン!。特に、北海道の新千歳空港からユジノサハリンスクに移動する場合、所要時間は、わずか1時間30分という短かさです。サハリンは、日本から(特に北海道からは)物理的には本当に近い場所でした。空港に到着すると、日本では盛夏だというのに、現地の気温は20℃にも満たない冷涼とした空気。猛暑の日本を離れ、さいはてに来た気分に浸る。
降り立った、ユジノサハリンスクの空港は、旧日本軍の空港施設が今日も利用されています。

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※[No-08_サハリン州郷土博物館] / [No-09_国境標識だった石]
※[No-10_戦勝神社] / [No-07_サハリンでの昼食一例]

市内の視察に入る。昼食後、最初に訪れたのがサハリン州郷土博物館。日本統治時代に旧樺太庁博物館として開館した和式城郭風の外観が大きな特色で、ユジノサハリンスクを代表する観光名所。館内展示の大きな見どころは、当時の「国境」を示していた石(国境標識)が展示されているところです。それは、北緯50度線のソ連と日本の国境に据えられていたものの一つ…。ボーダーを感じる瞬間でした。
サハリンの豆知識として、かつて樺太時代には日本の神社が277社もあったという。だが今では、神社や小学校など、当時を偲ばせる史跡は減ってきている。逆に、日本の象徴である神社の境内に戦車を配置し、ロシア側の勝利と力を誇示する為変容された「戦勝神社」というモノも存在する。
行程中にウズモーリエの東白浦神社跡も訪問。そこには今尚、大きな鳥居が佇む。神社至近に位置する小学校跡には、奉安殿跡(戦前の日本において、天皇と皇后の写真(御真影)と教育勅語を納めていた建物)があり当時の姿を偲ばせていた。
また、この地は歴史的背景も非常に複雑で、尊厳に係わる部分であったり、土人や部族という差別も存在していた。サチ(佐知)ではポロナイ川を渡し舟で渡航し、サハリン先住民族戦没者慰霊碑を訪問。先住民族の文化は、言葉は有るが文字が無く、少数民族の象徴でもあった。又、朝鮮人の虐殺も行われていた悲しい歴史もある。

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※[No-11_ウズモーリエにある鳥居] / [No-12_ポロナイ川の渡し舟]
※[No-13_先住民族戦没者慰霊碑] / [No-14_製紙工場]

そして、日本の冨の時代を彷彿させる建造物として製紙工場がある。第一次世界大戦時、ヨーロッパからパルプの輸入が出来なくなり、樺太に活路を求める為、渋沢栄一氏とも親交があった樺太庁長官が動き、当時9箇所の工場誘致に成功、稼動していたという。サハリンは森林(木材)と水が豊富で、燃料の石炭も産出されていた。という要因もあるという。その中で今回は、ポロナイスク(敷香)にある旧王子製紙の敷香工場を見学した。広大な敷地の中にある巨大な工場群は迫力がある。建物はコンクリート製で苔蒸した廃墟の体。かつて鉄製の窓枠があったと思われる部分からは窓が枠ごと取り外されており、がらんどうを晒していた。そこから持ち出された鉄製品は、再利用されているという話だ。背景に、あるいは軍艦等に用いる鉄不足があったのかもしれない。
(後編につづく)
(写真提供:著者 ※画像の転載・転用は禁止とさせて頂きます。)

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